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第8回 フラストレーション [青年期]

 前回はマズローの欲求について書きました。生理的欲求を満たしたら、次の段階へと進み、最後に自己実現の欲求を満たしていくという考え方だと思われますが、私はいささか疑問を持ちながらこの図式を見ています。というのも、欲求はいつでも満たされるとは限らないからです。生理的欲求が満たされなければ、安全の欲求を求めることはありません。安全の保証されないところではどこかに所属したい、愛されたいという欲求も生じません。自己実現なんてかなりハイレベルな欲求であるというということです。
 戦乱に追われて明日の命もわからない難民たちにとって、将来の夢など持ちようもありません。そういう意味では青年期のモラトリアムのといっていられるのはたいそう幸せな状態であると、皮肉でもなんでもなくそう思います。
 青年期には、様々な欲求が生じます。好きな作家の小説をすべて読んでみたいしできれば手元にずっと置いておきたい。あの人と恋人同士になり、お互いに愛し合う関係になりたい。将来は芸人になって満場の客を笑わせたい。誰とでも仲良くしていたいし敵を作りたくないし嫌われたくない。
 しかし、それらの欲求が必ず満たされるという保証はないのです。自分の欲求が満たされないと、いらいらしたりがっくりきたりむかむかしたりするでしょう。そういう状態のことを欲求不満、フラストレーションといいます。欲求不満をただただ放置しておくと、他人に対して攻撃的になったり、落ちこんで何に対しても無気力になったりと、良くない方向に進んでしまいがちです。
 そこで、多くの人はいろいろな方法でその欲求不満を解消していこうとします。精神分析の祖であるフロイトは、「合理的解決」「攻撃」「失敗反応」「防衛機制」といった形で解消すると考えました。一番いいのは合理的に解決するやり方で、別な目標を立てたり気持ちを切り替えて前向きに生きたりとなるわけですが、たいていの人は自分を守るために様々な手を使います。あこがれの人に手が届かなかったので、かわりにその人と仲の良い人とつきあうことで自分が傷つかないようにしてみたり、お笑い芸人なんてたいしたことはないと逆におとしめてみたり、手に入らなかった本はどうせたいした作品ではないときめつけてみたり。それがうまくいく場合もあるし、かえってもっと自分をいらだたせることもあるでしょう。大人になると、なぜ自分の欲求が満たされないのか原因を探ってみたり、欲求を満たすためにいろいろな方法を試したりすることができます。
 僕はもう老年期になろうとしていますから、最初から高い欲求を持とうという気にはなりませんが、若いころはかなり無謀な夢を見たものです。でも、それは青年期だけに許された特権かもしれないなと思ったりもしています。

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