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第14回 ソクラテス2 [古代ギリシア]

 なんだか前置きが長くなってしまいましたが、この時代の哲学者たちについて考える際、時代背景や社会構造抜きで、現代の我々の常識をそのままもちこむと、意味がわかりにくくなるのです。だから、もう少し辛抱して読んでください。
 自由市民はほとんど仕事はしないでよかった。仕事はみな奴隷がしてくれるのですから。この時代のギリシアに哲学や演劇が盛んになったのは、自由市民にはあまりやることがなく、広場に集まって論議をしたり芝居を見に行ったりという時間の余裕がたっぷりあったからなのです。当時のギリシアは民主制だったのですが、それは国王が勝手な命令を出したりというようなことはなく、自由民たちが広場に集まって物事を決めていたということです。現代の人権を保障する民主政治とは違うということを忘れてはなりません。奴隷は目に見える鎖にはつながれていませんでしたが、市民階級の人々の所有物であり、主人のために無償で労働しなければならなかったし、広場での論議に加わることもできませんでした。
 市民階級のの人々にとって大切なのは、広場での論議に勝つことでした。だから、弁論術といわれる、言葉で人を言い負かす技術が発達したのです。弁論術の専門家はソフィストと呼ばれていました。彼らの得意技は「屁理屈」です。たがいに理屈をこねまわして、相手の矛盾点をつき、言い負かせばよいのです。そして、それを聞いた市民たちは壷に陶片を入れてどちらが勝ったかを多数決で判定しました。
 弁論術の師匠というのがいて、弟子から授業料を取ったりしていたようです。そんなソフィストの一人、プロタゴラスは「万物の尺度は人間である」という言葉を残していますが、これは物事には真理という絶対的なものはなくて、状況に応じて人間が「正しさ」を決めるものだということを示しています。これを相対主義というのです。
 この当時の神様というのはのちのキリスト教の神様と違い絶対的に正しい存在ではないですからね。神様は多数いて、それぞれの分野を治めていました。しかし大神ゼウスにしたところで人間の女性にちょっかいを出して妻の女神ヘラが嫉妬したりするという、まことに人間臭い神です。
 それでも神殿での神のお告げは絶対的だったようです。神託と弁論術が矛盾なく同居しているという、そういう社会だったのですね。そしてデルフォイ神殿に「ソクラテス以上の知者はいない」という神託が下ったことで、ソクラテスの哲学が生まれます。
 友人から神託のことを聞いたソクラテスは悩みます。神託は絶対だけれど、そうは思わない彼にとっては、そんなお告げは迷惑なだけです。神はなぜ自分をそんなに高く評価したのか、それを探るためにソクラテスは知者たちにに問答をしかけていきます。現代だと実に困ったおやじです。当時の市民はみんな暇人ですから、いい時間つぶしだったのでしょうか。

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