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第17回 プラトン1 [古代ギリシア]

 プラトンはソクラテスの弟子ですが、師匠と違ってたくさんの著作を残しています。師匠について書いたものには「ソクラテスの弁明」などがありますし、自分の哲学を説明したものには「饗宴」などがあります。
 プラトンがいなければ、ソクラテスはただただ「あなた知ってますか知ってますか」と人に聞いてまわる迷惑なおっさんでしかなかったでしょうが、プラトンはたいそう師匠を尊敬していたので、ソクラテスこそが哲学の祖であるとその名を残しているのです。
 プラトンは明らかにソフィストとは違います。人を言い負かすための弁論術ではなく、自分の考える真理を自分の言葉で伝えようとした人です。古代ギリシアには、理科系の書き手や神話を体系的にまとめた人や劇作家など、多くの人の文献が残っています。もしギリシア哲学以上の思想が中南米などで考え出されていたとしても、文献が残っていないか、残っていても解読できなかったりするので、現代の私たちにはわかりません。以前も書きましたが、古代ギリシアの人々はとても幸運だったと思います。
 さてプラトンです。師匠のソクラテスは「よく生きること」が大切だと非常にシンプルな、逆にどんな場合でも当てはまるような言葉を残していますが、おそらくそこはプラトンには合わなかったところでしょう。プラトンのすごいところは、真理というものを説明するために、SFかファンタジーかというような「物語」の設定を作ってしまえたことです。
 例えば、人間はもともと手足が二対八本あったのだけれど、神によって背中から半分に引き裂かれて手足が4本の不完全なものになってしまったというのです。そして、人間は自分のもともとの半身を求めるのですが、その気持ちが恋愛だという、そんなことまで考えだしました。ようまあそんなこと思いつくなあと、その想像力の豊かさに驚かされてしまいます。
 面白いなあと思うのは、「洞窟の比喩」です。私たちがふだん見ているものは、物事の真の姿ではないと、プラトンは言います。私たちは洞窟の中に住んでいるようなもので、私たちが見ているものはその洞窟の壁に映っている影絵みたいなものなのではないか。もちろん洞窟ですから、外に向かって開いている出入口はあります。出入口の外には物事の真の姿がいて、洞窟の外からさしこんでいる光によって、真の姿の影が壁に投影されるというのです。私たちはその影絵を真の姿だと思いこんでいるのではないか、と。だったら洞窟の外に出れば物事の真の姿を見られるじゃないかと思うのですが、プラトンは、洞窟の人間にとっては外の光はまぶしすぎて目がつぶれてしまうと言います。
 今風に言うと、私たちはダンジョンの中が世界の全てだと思い、ダンジョンに現れる魔物と戦ったりしているけれど、それらはすべてダンジョンの外にいるものの影なのです。そして私たちはダンジョンからはそう簡単には出られなくなっているというわけです。

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