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第22回 アリストテレス 3 [古代ギリシア]

 アリストテレスについて書いていても、ソクラテスやプラトンほど面白く、またわくわくしてきません。なぜならば、現代から見ても非常に常識的なことが多いからです。ソクラテスのような面白いエピソードもなければ、プラトンのようなぶっとんだ例えもしない。
 なぜならば、現代の私たちの常識というものの基礎はアリストテレスが作ったものだといえるからですし、アリストテレスの考え方の土台に「観察」があるためでもあります。彼は観察することにより、私たちの目に見える「事実」を「真理」として提示しています。生物学でいえば、アリストテレスの時代と現代の生物相はそう大きく変わったわけではありません。古代の人間が進化して現代は新たな能力を備えた人類が世界を形作ってるわけでもないし、哺乳類に代わる全く別な生き物が哺乳類にかわって地上にはびこっているというわけでもない。
 言い換えてみれば、人間の本質はアリストテレスの時代からそれほど変わっていないとも言えるでしょう。となると、アリストテレスの思想を説明しても、私たちが「常識」として感じていることとそれほど違わないと言えます。
 アリストテレスは「人間とはポリス的な生き物である」と言っています。他の生物と違い、社会というものを作り、その中で生きているという特徴があるというのです。当時として誰もそこまで考えていなかったから、すごく画期的な言葉だったでしょうが、私たちにとっては当たり前のことです。
 彼は人間関係において最も大切なものは「友愛(ファリアー)」だと言います。この「友愛」は「相手のために善い行いをする」関係を示します。「自分のために」と同じくらい「相手のため」に行動できる関係を「友愛」と呼ぶのです。現代でいえば損得抜きで付き合える親友との関係がそれにあたるでしょうか。
 アリストテレスが示す理想は、この世のどこか別にある完全なものでありません。自分たちの生活の中で最善のものを理想として考えます。そこがプラトンとの大きな違いです。そしてプラトン的なものを受け入れられない人でも、アリストテレス的なものは受け入れやすいでしょう。
 ただ、アリストテレスの観察には限度がありました。例えば天文学では見たままを真実ととらえていますから、当然「地動説」の立場をとりますし、星の運行についても宇宙空間については理解できませんから、宇宙は「エーテル」という物質に満たされていて、そのエーテルの中で泳がされているのだと考えました。人間以外の動植物は、人間とは意思を通じ合うことができないので、友愛的な関係は結べないと、人間とそれ以外の生物をはっきりと分けています。
 これらはアリストテレスの時代の「観察」の限界です。しかし、後世、キリスト教会などはこれらの学説を絶対的なものとして権威づけしてしまい、新たな観察結果から導かれた「地動説」などは異端の考えとされるようになってしまいます。
 ただ、アリストテレスの思想そのものは現代でも通用するものが多く、まさしく「万学の祖」であるなあと感心せずにはおれないのです。

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第21回 アリストテレス 2 [古代ギリシア]

 アリストテレスにとって、理想とはどのようなものだったか。これは非常にはっきりしています。
 それは「中庸」です。例えば、「勇気」も多すぎると「無謀」になり、少なすぎると「臆病」になる。「勇気」という美質もバランスの取れたものでないといけない。
 あるいは「矜持」は多すぎると「高慢」になり、少なすぎると「卑屈」になります。最近日本のことをやたらほめたたえる本やテレビ番組が増えてきたといわれますが、日本という国に対する「矜持」が揺らいで「卑屈」になり、そのバランスをとるために「高慢」なものでもいいから日本をほめたたえるものを求める、といったところでしょうか。ただ、これが過ぎるとヘイトスピーチや、SNS上での「反日」という誹謗中傷にまで行ってしまうということになるんではないかと私は考えます。
 この考えもやはり観察から導かれたものではないでしょうか。生物や、人間や、社会やいろいろなものを観察していると、過剰なものや不足しているものは自然に淘汰され、ほどの良いものが残るという実例を多く見た結果、「中庸」の徳を重視することになったのではないかと推測されます。ここでもアリストテレスは「善のイデア」のような絶対的な理想を持ち出したりはしないのです。
 ただ、アリストテレスは「観察」に条件をつけています。観察するためには冷静で理性的で客観的な態度が必要だというのです。思い込みや主観的な態度で観察したものからは正しいものを見つけ出すことはできないということでしょう。それは特に「観想(テオーリア)」という言い方で示されています。
 アリストテレスは人間の生きる目的は「幸福になること」と考えました。そして最も幸せな生活は、理性的に観察して暮らす「観想的生活」だとしています。とにかく観察することの好きな人だったのですね。
 アリストテレスもプラトンのように学校を作りました。あらゆる学問に通じていた彼らしく、博物館や図書館も備えていたそうです。そして、弟子たちと学校の前の小道を散歩しながら講義をしたのだそうです。おそらく何か見つけては足を止めて観察したりしたことでしょう。人々はアリストテレスとその弟子たちのことを「逍遥学派」と呼んだといいます。
 また、後世、アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれます。哲学や生物学だけでなく、政治学、倫理学、天文学に芸術と、あらゆる学問について著作を残しているからです。そして、その学問は、例えばイスラームの国々に伝わり、発展し、地中海貿易を通じてルネサンスへと発展していく礎になるのです。

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第20回 アリストテレス 1 [古代ギリシア]

 プラトンはアカデメイアという学校を作り、多くの弟子を育てましたが、その中の一人がアリストテレスです。
 アリストテレスは「科学の子」でした。私事で恐縮ですが、大学時代、一般教養の「生物」の講義では、先生がとにかくアリストテレス礼賛をやっていたという記憶があります。アリストテレスは生き物を観察し、「すべての生き物は簡単な仕組みのものから複雑な仕組みのものまで、階段のように並べることができる」ということを発見しています。まだ生物の分類学などもなく、細胞も発見されておらず、顕微鏡もなく、進化などという考え方もない紀元前に、観察することによってこういう結論を導き出したのだから、これはすごいことです。なにしろ神話に出てくるような生き物……ミノタウロスやケンタウロスなんてものが実在していると信じていた人さえいた時代です。
 アリストテレスは哲学も「観察」をもとに組み立てています。彼は師匠にあたるプラトンを尊敬しつつも、「イデア界」などというものには否定的でした。なぜならそのような世界は観察して調べることも実証することもできないからです。
 でも、イデアについては否定はしません。すべての事物には「本質」があるという考え方は、しっかりとプラトンから受け継いでいるのです。ただし、その「本質」はイデア界などというあるんだかないんだかわからないところにあるとは思わなかったということです。
 アリストテレスは観察する人です。彼はいろいろなものを観察します。そして出した結論は、「すべてのものの本質は、そのもの自体に備わっている」というものでした。材料となるもの(ヒュレー)と本質(エイドス)が組み合わさったときに、そのものが存在するということです。
 植物の種は、そのままでは植物としては見られません。しかし種の中にはその植物の本質が入っていると、アリストテレスは考えました。だから、種に水や肥料という材料を与えてやることにより、その材料と本質が組み合わさり、植物として成長し、完成した姿になるというのです。
 なぜアリストテレスはプラトンの考える「イデア界」を否定してヒュレーとエイドスという考え方に至ったのか。プラトンは理想主義者でアリストテレスは現実主義者だったから、という説明だけでは不十分だと私は考えます。時代背景というものを無視して、その違いを語ることはできないと思うからです。
 プラトンは、まだギリシアのポリスが健在だった時代の人です。ですから、ソクラテスやソフィストたちと同じく観念的な世界に遊ぶことができたのでしょう。しかしアリストテレスは違いました。彼がアレクサンダー大王の家庭教師だったということを抜きにしてアリストテレスの思想を語ることはできないはずです。彼が教えたマケドニアの若き王子は、ギリシアを含む地中海沿岸を征服する大王になりました。そして東西の文化が融合するヘレニズム文化が発生します。アリストテレスの時代は、世界が一気に広がり、観念的な思想よりも現実的な思想を必要とする時代の端境期にあたっています。真理や理想という概念が大きく変化していく時代がきたのです。
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第19回 プラトン 3 [古代ギリシア]

 プラトンの哲学はヨーロッパにおける思想の全ての祖といわれます。その理由は2点あります。一つはカントなどの大陸合理論につながる部分、一つは神の国があるというカトリックの教義につながる部分です。それらはいずれもイデア界という考え方と分かちがたく結びついています。
 大陸合理論はいずれここで書く予定ですが、今かんたんにまとめておくと、人には生まれながらに理性という良識があって、それに照らし合わせて善悪の判断ができるというようなものです。これは、人はすべてイデア界の記憶を持っているから、その記憶に照らし合わせて真理を理解することができるというプラトンの考え方からきています。
 神の国に関してもここで取り上げる予定ですが、イデア界と同じく理想の世界が現世とは別にあるという考え方です。これを教義化した教父アウグスティヌスは、「新プラトン主義」という思想の影響を強く受けていますから、かなり意識的にイデア界をキリスト教的に定義したものと思われます。
 プラトンは理想主義の人だと言われますが、それはイデア界という理想世界という考え方をベースに、理想を追求する哲学者が政治家として国家を治めるべきだと考えていたからです。人間の魂は理性・気概・欲望の三部分に分かれているとプラトンは考えました。
 欲望は自分のことを優先的に考えてしまうので、商人に向いています。気概は勇敢ですが力で解決してしまうので軍人に向いています。その点、理性は理想に向かうものなので、政治に向いています。プラトンはそんなふうに考えました。本当はそんな単純に割り切ることなどできないと思うのですが、プラトンにとって大切なのはイデア界ですし、善のイデアなのですから、こういう結論になるほかないのです。
 というわけで、プラトンにとって理想の政治は哲学者が政治家として社会を治めるということになります。僕が疑問に思うのは、軍人や商人は理想を求める存在ではないのだから、哲学者に政治を任せておいても何もいいことはないので反乱を起こしてしまうかもしれないと、プラトンが想定していないことですね。そこがプラトンの哲学の限界なのではないかと思います。高い理想も机上の空論ではどうしようもありません。
 そんなふうに考えたのはむろん僕だけではありません。プラトンはアカデメイアという学校を開き、多くの門人を輩出しますが、プラトンの理想主義に疑いを持ち、現実的な考え方をする者も出てきます。それがアリストテレスです。
 理想主義に偏り過ぎるという難点はありますが、高い理想があり、現実に即しながら理想の姿に近づけていく……これも理想的ですけれど……という生き方は非常に大切なものだと思います。理想主義者であるプラトンの存在は、それ以後の思想に大きな影響を与えていることからも、大きなものであることは間違いないところですね。
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