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第15回 ソクラテス3 [古代ギリシア]

 ソクラテスの母親は今でいう助産師、古い言い方だと産婆と呼ばれる仕事をしていました。助産師は、母親が出産するときに、その手伝いをする仕事なわけですが、僕は男性で出産の経験はもちろんありませんのでこれは聞いた話になるわけですけれど、子どもを産むのは母親で、助産師は力の入れ時や呼吸のタイミングなどを見計らいながら声掛けをしたりする仕事だそうです。助産師の力で子どもは産まれるのではなく、あくまで母体から子どもが出てくるのを文字通り助ける仕事なのですね。
 ソクラテスはいろいろな知者と問答をし、質問をしては相手から答えを引き出そうとしました。これを問答法といいますが、別の呼び方として産婆術ともいうのです。彼の母親の仕事にちなんでそういう呼ばれ方をしたのかもしれません。現代では、カウンセラーがこの方法をとります。カウンセラーはクライアントの話を聞きながら、その中から解決法を引き出していきます。
 ソクラテスはいろいろな人と問答をしていく中で、自分よりも知恵のあるといわれている者も、真理を知らないという点では同じだということを引き出しました。ならば、ソクラテスが神託の通り一番の知者であるとしたら、他の人が知らないことを何か知っているということになるはずです。だいたいソフィストというのは屁理屈で人を負かすのが商売ですから、論争の中で「知らない」などという言葉をはくことはできません。当然ソクラテスに対しても知者と呼ばれる人たちは「私は何でも知っている」という態度をとるはずです。
 このことを、ソクラテスは「もし私が彼らより優れている点があるとしたら、“私自身が真理を知らない”ということを自覚しているということだろう」という解釈をし、これを“無知の知”と呼びました。ここらあたり、ソクラテスもまたソフィストの一人であったということを感じさせます。「ソクラテスほどの知者はいない」という神託の意味を、「無知の知」といういわば屁理屈で論証したのですから。「どんなことでも知っている」としてしまえば、知らないことについて聞かれるともうそこで負けです。しかし自分自身が何も知らないということを知っているというのだから、「知らない」と言っても負けにはならず、さらに産婆術で相手からその答えを引き出すというのですから。そういう意味では確かにソクラテスは「知者」ですね。そして他の「知者」たちの「無知」を問答で明らかにしたといえます。
 ただ、ソクラテスはそのような方法で、「魂の徳」というものを説くようになり、「人はただ生きるのではなく、よく生きることが大切だ」と若い弟子たちに教えるようになります。ここらあたりが他のソフィストとは違う点で、若者たちにとっては非常に新鮮だったのではないでしょうか。そして、他のソフィストたちはソクラテスの「問答」を真似る若者たちが増えていくことに危険なものを感じ取っていったのでした。

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