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第16回 ソクラテス 4 [古代ギリシア]

 ソクラテスとはどんな人だったのか。同時代の劇作家はソクラテスを笑いの種にした劇を書いていますし、弟子の中にはただひたすらに神を信じる人と書き残していたりします。しかし、教科書にはそんな姿は描写されません。後世に残るソクラテス像は、プラトンが大量に書き残した著述によっています。
 私たちが知るソクラテス像は、プラトンというフィルターを通して残されたものなのです。なぜなら、ソクラテスは自分の考えを一切書き残していないからです。なぜソクラテスは自分の哲学を書物という形でまとめなかったのでしょうか。いろいろと理由は考えられますが、ソクラテスにとって大切だったのは書き残したものではなく、問答そのものだったというのが定説になっています。問答によって心理を明らかにしていく過程が大切であって、結論をまとめることには関心がなかったということでしょうか。
 とにかく、ソフィストたちにうとまれたソクラテスは、邪教を広める者として裁判にかけられ、多数決で死刑に決まりました。最初はもう少し軽い刑だったのですが、ソクラテスは例によって問答で相手の矛盾をばらしていくのですから、訴えた方の怒りも増大して死刑になってしまうのです。ここらあたりは現代の法律や裁判の常識とはかなり違うものだったということを頭に置いておくべきでしょう。
 弟子たちはソクラテスがアテナイから亡命するようにお膳立てをします。現代から見て不思議なのは、死刑といっても処刑人によって殺されるのではなく、自分で毒を飲んで死ぬという形であることです。ここも現代の常識でははかれないところですね。死んでもよいし逃げてもよい、みたいな。
 しかし、ソクラテスはアテナイからの逃亡は選びませんでした。ソクラテスにとっての「よく生きる」というのはアテナイの市民として決められたことを守ることであり、それは神託に従うことだったようです。かくしてソクラテスは自ら毒を飲んで死にます。この時の弟子との問答もプラトンは書き残していますが、ちょっとかっこよすぎるので、プラトンのフィルターを通したもので、たぶんに美化しているということを割り引いて読むべきでしょう。
 こうして「哲学の祖」としてプラトンに描かれたソクラテスは死を迎えます。このように書いたのは、前に書いたように同時代の他の者によってもソクラテスは描かれており、その姿はプラトンが書き残したものとは少しばかり様子が違うからです。
 しかし、たとえプラトンに美化されていようと、ソクラテスはそれまでの自然科学者やソフィストたちとは違う形で世界というものをとらえようとしていたのは事実のようですし、プラトンやアリストテレスを経て哲学というものの土台になっているのは確かなことです。

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