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第22回 アリストテレス 3 [古代ギリシア]

 アリストテレスについて書いていても、ソクラテスやプラトンほど面白く、またわくわくしてきません。なぜならば、現代から見ても非常に常識的なことが多いからです。ソクラテスのような面白いエピソードもなければ、プラトンのようなぶっとんだ例えもしない。
 なぜならば、現代の私たちの常識というものの基礎はアリストテレスが作ったものだといえるからですし、アリストテレスの考え方の土台に「観察」があるためでもあります。彼は観察することにより、私たちの目に見える「事実」を「真理」として提示しています。生物学でいえば、アリストテレスの時代と現代の生物相はそう大きく変わったわけではありません。古代の人間が進化して現代は新たな能力を備えた人類が世界を形作ってるわけでもないし、哺乳類に代わる全く別な生き物が哺乳類にかわって地上にはびこっているというわけでもない。
 言い換えてみれば、人間の本質はアリストテレスの時代からそれほど変わっていないとも言えるでしょう。となると、アリストテレスの思想を説明しても、私たちが「常識」として感じていることとそれほど違わないと言えます。
 アリストテレスは「人間とはポリス的な生き物である」と言っています。他の生物と違い、社会というものを作り、その中で生きているという特徴があるというのです。当時として誰もそこまで考えていなかったから、すごく画期的な言葉だったでしょうが、私たちにとっては当たり前のことです。
 彼は人間関係において最も大切なものは「友愛(ファリアー)」だと言います。この「友愛」は「相手のために善い行いをする」関係を示します。「自分のために」と同じくらい「相手のため」に行動できる関係を「友愛」と呼ぶのです。現代でいえば損得抜きで付き合える親友との関係がそれにあたるでしょうか。
 アリストテレスが示す理想は、この世のどこか別にある完全なものでありません。自分たちの生活の中で最善のものを理想として考えます。そこがプラトンとの大きな違いです。そしてプラトン的なものを受け入れられない人でも、アリストテレス的なものは受け入れやすいでしょう。
 ただ、アリストテレスの観察には限度がありました。例えば天文学では見たままを真実ととらえていますから、当然「地動説」の立場をとりますし、星の運行についても宇宙空間については理解できませんから、宇宙は「エーテル」という物質に満たされていて、そのエーテルの中で泳がされているのだと考えました。人間以外の動植物は、人間とは意思を通じ合うことができないので、友愛的な関係は結べないと、人間とそれ以外の生物をはっきりと分けています。
 これらはアリストテレスの時代の「観察」の限界です。しかし、後世、キリスト教会などはこれらの学説を絶対的なものとして権威づけしてしまい、新たな観察結果から導かれた「地動説」などは異端の考えとされるようになってしまいます。
 ただ、アリストテレスの思想そのものは現代でも通用するものが多く、まさしく「万学の祖」であるなあと感心せずにはおれないのです。

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第21回 アリストテレス 2 [古代ギリシア]

 アリストテレスにとって、理想とはどのようなものだったか。これは非常にはっきりしています。
 それは「中庸」です。例えば、「勇気」も多すぎると「無謀」になり、少なすぎると「臆病」になる。「勇気」という美質もバランスの取れたものでないといけない。
 あるいは「矜持」は多すぎると「高慢」になり、少なすぎると「卑屈」になります。最近日本のことをやたらほめたたえる本やテレビ番組が増えてきたといわれますが、日本という国に対する「矜持」が揺らいで「卑屈」になり、そのバランスをとるために「高慢」なものでもいいから日本をほめたたえるものを求める、といったところでしょうか。ただ、これが過ぎるとヘイトスピーチや、SNS上での「反日」という誹謗中傷にまで行ってしまうということになるんではないかと私は考えます。
 この考えもやはり観察から導かれたものではないでしょうか。生物や、人間や、社会やいろいろなものを観察していると、過剰なものや不足しているものは自然に淘汰され、ほどの良いものが残るという実例を多く見た結果、「中庸」の徳を重視することになったのではないかと推測されます。ここでもアリストテレスは「善のイデア」のような絶対的な理想を持ち出したりはしないのです。
 ただ、アリストテレスは「観察」に条件をつけています。観察するためには冷静で理性的で客観的な態度が必要だというのです。思い込みや主観的な態度で観察したものからは正しいものを見つけ出すことはできないということでしょう。それは特に「観想(テオーリア)」という言い方で示されています。
 アリストテレスは人間の生きる目的は「幸福になること」と考えました。そして最も幸せな生活は、理性的に観察して暮らす「観想的生活」だとしています。とにかく観察することの好きな人だったのですね。
 アリストテレスもプラトンのように学校を作りました。あらゆる学問に通じていた彼らしく、博物館や図書館も備えていたそうです。そして、弟子たちと学校の前の小道を散歩しながら講義をしたのだそうです。おそらく何か見つけては足を止めて観察したりしたことでしょう。人々はアリストテレスとその弟子たちのことを「逍遥学派」と呼んだといいます。
 また、後世、アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれます。哲学や生物学だけでなく、政治学、倫理学、天文学に芸術と、あらゆる学問について著作を残しているからです。そして、その学問は、例えばイスラームの国々に伝わり、発展し、地中海貿易を通じてルネサンスへと発展していく礎になるのです。

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第20回 アリストテレス 1 [古代ギリシア]

 プラトンはアカデメイアという学校を作り、多くの弟子を育てましたが、その中の一人がアリストテレスです。
 アリストテレスは「科学の子」でした。私事で恐縮ですが、大学時代、一般教養の「生物」の講義では、先生がとにかくアリストテレス礼賛をやっていたという記憶があります。アリストテレスは生き物を観察し、「すべての生き物は簡単な仕組みのものから複雑な仕組みのものまで、階段のように並べることができる」ということを発見しています。まだ生物の分類学などもなく、細胞も発見されておらず、顕微鏡もなく、進化などという考え方もない紀元前に、観察することによってこういう結論を導き出したのだから、これはすごいことです。なにしろ神話に出てくるような生き物……ミノタウロスやケンタウロスなんてものが実在していると信じていた人さえいた時代です。
 アリストテレスは哲学も「観察」をもとに組み立てています。彼は師匠にあたるプラトンを尊敬しつつも、「イデア界」などというものには否定的でした。なぜならそのような世界は観察して調べることも実証することもできないからです。
 でも、イデアについては否定はしません。すべての事物には「本質」があるという考え方は、しっかりとプラトンから受け継いでいるのです。ただし、その「本質」はイデア界などというあるんだかないんだかわからないところにあるとは思わなかったということです。
 アリストテレスは観察する人です。彼はいろいろなものを観察します。そして出した結論は、「すべてのものの本質は、そのもの自体に備わっている」というものでした。材料となるもの(ヒュレー)と本質(エイドス)が組み合わさったときに、そのものが存在するということです。
 植物の種は、そのままでは植物としては見られません。しかし種の中にはその植物の本質が入っていると、アリストテレスは考えました。だから、種に水や肥料という材料を与えてやることにより、その材料と本質が組み合わさり、植物として成長し、完成した姿になるというのです。
 なぜアリストテレスはプラトンの考える「イデア界」を否定してヒュレーとエイドスという考え方に至ったのか。プラトンは理想主義者でアリストテレスは現実主義者だったから、という説明だけでは不十分だと私は考えます。時代背景というものを無視して、その違いを語ることはできないと思うからです。
 プラトンは、まだギリシアのポリスが健在だった時代の人です。ですから、ソクラテスやソフィストたちと同じく観念的な世界に遊ぶことができたのでしょう。しかしアリストテレスは違いました。彼がアレクサンダー大王の家庭教師だったということを抜きにしてアリストテレスの思想を語ることはできないはずです。彼が教えたマケドニアの若き王子は、ギリシアを含む地中海沿岸を征服する大王になりました。そして東西の文化が融合するヘレニズム文化が発生します。アリストテレスの時代は、世界が一気に広がり、観念的な思想よりも現実的な思想を必要とする時代の端境期にあたっています。真理や理想という概念が大きく変化していく時代がきたのです。
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第19回 プラトン 3 [古代ギリシア]

 プラトンの哲学はヨーロッパにおける思想の全ての祖といわれます。その理由は2点あります。一つはカントなどの大陸合理論につながる部分、一つは神の国があるというカトリックの教義につながる部分です。それらはいずれもイデア界という考え方と分かちがたく結びついています。
 大陸合理論はいずれここで書く予定ですが、今かんたんにまとめておくと、人には生まれながらに理性という良識があって、それに照らし合わせて善悪の判断ができるというようなものです。これは、人はすべてイデア界の記憶を持っているから、その記憶に照らし合わせて真理を理解することができるというプラトンの考え方からきています。
 神の国に関してもここで取り上げる予定ですが、イデア界と同じく理想の世界が現世とは別にあるという考え方です。これを教義化した教父アウグスティヌスは、「新プラトン主義」という思想の影響を強く受けていますから、かなり意識的にイデア界をキリスト教的に定義したものと思われます。
 プラトンは理想主義の人だと言われますが、それはイデア界という理想世界という考え方をベースに、理想を追求する哲学者が政治家として国家を治めるべきだと考えていたからです。人間の魂は理性・気概・欲望の三部分に分かれているとプラトンは考えました。
 欲望は自分のことを優先的に考えてしまうので、商人に向いています。気概は勇敢ですが力で解決してしまうので軍人に向いています。その点、理性は理想に向かうものなので、政治に向いています。プラトンはそんなふうに考えました。本当はそんな単純に割り切ることなどできないと思うのですが、プラトンにとって大切なのはイデア界ですし、善のイデアなのですから、こういう結論になるほかないのです。
 というわけで、プラトンにとって理想の政治は哲学者が政治家として社会を治めるということになります。僕が疑問に思うのは、軍人や商人は理想を求める存在ではないのだから、哲学者に政治を任せておいても何もいいことはないので反乱を起こしてしまうかもしれないと、プラトンが想定していないことですね。そこがプラトンの哲学の限界なのではないかと思います。高い理想も机上の空論ではどうしようもありません。
 そんなふうに考えたのはむろん僕だけではありません。プラトンはアカデメイアという学校を開き、多くの門人を輩出しますが、プラトンの理想主義に疑いを持ち、現実的な考え方をする者も出てきます。それがアリストテレスです。
 理想主義に偏り過ぎるという難点はありますが、高い理想があり、現実に即しながら理想の姿に近づけていく……これも理想的ですけれど……という生き方は非常に大切なものだと思います。理想主義者であるプラトンの存在は、それ以後の思想に大きな影響を与えていることからも、大きなものであることは間違いないところですね。
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第18回 プラトン 2 [古代ギリシア]

 プラトンの想像力には元ネタがあります。宗教であり、神話です。プラトンは私たちは死後に他の世界に生まれ変わり、新たな生を得てはまた別の世界を遍歴すると考えていました。なにやら現代のSFやファンタジーに登場する多重世界を思わせますね。
 そのさまざまな世界の中の一つに「イデア界」というものがあるとプラトンは考えていました。その世界にはすべてのものの本質が集まっていて、その他の世界……私たちの生きている世界も含めて……にあるものは、すべてがイデア界から投影されたものだというわけです。例えばイスというものがありますね。イスには足が4本あるものもあれば、キャスターがついたもの、手すりのあるもの、円柱形をしたものなど様々な形をしています。
 私たちは、様々な形のイスを見て、それがすべてイスであると理解します。形が違うから別物だなどとは思いません。なぜでしょうか。プラトンは、それは私たちが現在の世界に生まれる前に、一度はイデア界に生きた経験があり、「イスのイデア」を知っているからだと考えました。そのものの本質を知っているから、どんな形をしていてもそれがイスであるとわかるのです。
 イデア界にある様々なイデアのうち、最も重要なものは「善のイデア」であるとプラトンは考えていました。「善のイデア」を頂点にしたピラミッドができているというのです。私たちはイデア界にいた時の記憶により、この善のイデアを求める強い気持ちがあり、その気持ちのことを愛(エロース)と呼びます。
 現代の私たちから見たら、イデア界なんてないよと笑い飛ばしたくなるような話です。イデア界の存在を証明することも不可能でしょう。だから、このイデア界の例えというのは現代ではわかりにくいところではないかと思います。しかし、プラトンの生きた時代には、神話や神の託宣が何よりも優先される時代でした。ですから、こういう例えがわかりやすかったのかもしれません。
 ですから私たちは、この例えからプラトンが求めたものは何かということを考えなければなりません。それは、すべての物事の本質を求める心が人にはあるということであったり、真理とは何かということを考えることにより人は幸福になるということを、このイデア界の例えで伝えたかったと言えるでしょう。
 プラトニック・ラブという言葉があります。肉体的な欲望ではなく純粋に人のことが好きになるという感情のことを示しています。プラトニック、つまりプラトン的な愛というものは、純粋に美しいものを追い求めるエロースであるということからきています。
 プラトンの考えた愛は、真理を求める心である、という理解でよいのではないかと僕は思います。ただ、イデア界という発想はなかなかすごいなあと感心してしまうのですが。

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第17回 プラトン1 [古代ギリシア]

 プラトンはソクラテスの弟子ですが、師匠と違ってたくさんの著作を残しています。師匠について書いたものには「ソクラテスの弁明」などがありますし、自分の哲学を説明したものには「饗宴」などがあります。
 プラトンがいなければ、ソクラテスはただただ「あなた知ってますか知ってますか」と人に聞いてまわる迷惑なおっさんでしかなかったでしょうが、プラトンはたいそう師匠を尊敬していたので、ソクラテスこそが哲学の祖であるとその名を残しているのです。
 プラトンは明らかにソフィストとは違います。人を言い負かすための弁論術ではなく、自分の考える真理を自分の言葉で伝えようとした人です。古代ギリシアには、理科系の書き手や神話を体系的にまとめた人や劇作家など、多くの人の文献が残っています。もしギリシア哲学以上の思想が中南米などで考え出されていたとしても、文献が残っていないか、残っていても解読できなかったりするので、現代の私たちにはわかりません。以前も書きましたが、古代ギリシアの人々はとても幸運だったと思います。
 さてプラトンです。師匠のソクラテスは「よく生きること」が大切だと非常にシンプルな、逆にどんな場合でも当てはまるような言葉を残していますが、おそらくそこはプラトンには合わなかったところでしょう。プラトンのすごいところは、真理というものを説明するために、SFかファンタジーかというような「物語」の設定を作ってしまえたことです。
 例えば、人間はもともと手足が二対八本あったのだけれど、神によって背中から半分に引き裂かれて手足が4本の不完全なものになってしまったというのです。そして、人間は自分のもともとの半身を求めるのですが、その気持ちが恋愛だという、そんなことまで考えだしました。ようまあそんなこと思いつくなあと、その想像力の豊かさに驚かされてしまいます。
 面白いなあと思うのは、「洞窟の比喩」です。私たちがふだん見ているものは、物事の真の姿ではないと、プラトンは言います。私たちは洞窟の中に住んでいるようなもので、私たちが見ているものはその洞窟の壁に映っている影絵みたいなものなのではないか。もちろん洞窟ですから、外に向かって開いている出入口はあります。出入口の外には物事の真の姿がいて、洞窟の外からさしこんでいる光によって、真の姿の影が壁に投影されるというのです。私たちはその影絵を真の姿だと思いこんでいるのではないか、と。だったら洞窟の外に出れば物事の真の姿を見られるじゃないかと思うのですが、プラトンは、洞窟の人間にとっては外の光はまぶしすぎて目がつぶれてしまうと言います。
 今風に言うと、私たちはダンジョンの中が世界の全てだと思い、ダンジョンに現れる魔物と戦ったりしているけれど、それらはすべてダンジョンの外にいるものの影なのです。そして私たちはダンジョンからはそう簡単には出られなくなっているというわけです。

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第16回 ソクラテス 4 [古代ギリシア]

 ソクラテスとはどんな人だったのか。同時代の劇作家はソクラテスを笑いの種にした劇を書いていますし、弟子の中にはただひたすらに神を信じる人と書き残していたりします。しかし、教科書にはそんな姿は描写されません。後世に残るソクラテス像は、プラトンが大量に書き残した著述によっています。
 私たちが知るソクラテス像は、プラトンというフィルターを通して残されたものなのです。なぜなら、ソクラテスは自分の考えを一切書き残していないからです。なぜソクラテスは自分の哲学を書物という形でまとめなかったのでしょうか。いろいろと理由は考えられますが、ソクラテスにとって大切だったのは書き残したものではなく、問答そのものだったというのが定説になっています。問答によって心理を明らかにしていく過程が大切であって、結論をまとめることには関心がなかったということでしょうか。
 とにかく、ソフィストたちにうとまれたソクラテスは、邪教を広める者として裁判にかけられ、多数決で死刑に決まりました。最初はもう少し軽い刑だったのですが、ソクラテスは例によって問答で相手の矛盾をばらしていくのですから、訴えた方の怒りも増大して死刑になってしまうのです。ここらあたりは現代の法律や裁判の常識とはかなり違うものだったということを頭に置いておくべきでしょう。
 弟子たちはソクラテスがアテナイから亡命するようにお膳立てをします。現代から見て不思議なのは、死刑といっても処刑人によって殺されるのではなく、自分で毒を飲んで死ぬという形であることです。ここも現代の常識でははかれないところですね。死んでもよいし逃げてもよい、みたいな。
 しかし、ソクラテスはアテナイからの逃亡は選びませんでした。ソクラテスにとっての「よく生きる」というのはアテナイの市民として決められたことを守ることであり、それは神託に従うことだったようです。かくしてソクラテスは自ら毒を飲んで死にます。この時の弟子との問答もプラトンは書き残していますが、ちょっとかっこよすぎるので、プラトンのフィルターを通したもので、たぶんに美化しているということを割り引いて読むべきでしょう。
 こうして「哲学の祖」としてプラトンに描かれたソクラテスは死を迎えます。このように書いたのは、前に書いたように同時代の他の者によってもソクラテスは描かれており、その姿はプラトンが書き残したものとは少しばかり様子が違うからです。
 しかし、たとえプラトンに美化されていようと、ソクラテスはそれまでの自然科学者やソフィストたちとは違う形で世界というものをとらえようとしていたのは事実のようですし、プラトンやアリストテレスを経て哲学というものの土台になっているのは確かなことです。

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第15回 ソクラテス3 [古代ギリシア]

 ソクラテスの母親は今でいう助産師、古い言い方だと産婆と呼ばれる仕事をしていました。助産師は、母親が出産するときに、その手伝いをする仕事なわけですが、僕は男性で出産の経験はもちろんありませんのでこれは聞いた話になるわけですけれど、子どもを産むのは母親で、助産師は力の入れ時や呼吸のタイミングなどを見計らいながら声掛けをしたりする仕事だそうです。助産師の力で子どもは産まれるのではなく、あくまで母体から子どもが出てくるのを文字通り助ける仕事なのですね。
 ソクラテスはいろいろな知者と問答をし、質問をしては相手から答えを引き出そうとしました。これを問答法といいますが、別の呼び方として産婆術ともいうのです。彼の母親の仕事にちなんでそういう呼ばれ方をしたのかもしれません。現代では、カウンセラーがこの方法をとります。カウンセラーはクライアントの話を聞きながら、その中から解決法を引き出していきます。
 ソクラテスはいろいろな人と問答をしていく中で、自分よりも知恵のあるといわれている者も、真理を知らないという点では同じだということを引き出しました。ならば、ソクラテスが神託の通り一番の知者であるとしたら、他の人が知らないことを何か知っているということになるはずです。だいたいソフィストというのは屁理屈で人を負かすのが商売ですから、論争の中で「知らない」などという言葉をはくことはできません。当然ソクラテスに対しても知者と呼ばれる人たちは「私は何でも知っている」という態度をとるはずです。
 このことを、ソクラテスは「もし私が彼らより優れている点があるとしたら、“私自身が真理を知らない”ということを自覚しているということだろう」という解釈をし、これを“無知の知”と呼びました。ここらあたり、ソクラテスもまたソフィストの一人であったということを感じさせます。「ソクラテスほどの知者はいない」という神託の意味を、「無知の知」といういわば屁理屈で論証したのですから。「どんなことでも知っている」としてしまえば、知らないことについて聞かれるともうそこで負けです。しかし自分自身が何も知らないということを知っているというのだから、「知らない」と言っても負けにはならず、さらに産婆術で相手からその答えを引き出すというのですから。そういう意味では確かにソクラテスは「知者」ですね。そして他の「知者」たちの「無知」を問答で明らかにしたといえます。
 ただ、ソクラテスはそのような方法で、「魂の徳」というものを説くようになり、「人はただ生きるのではなく、よく生きることが大切だ」と若い弟子たちに教えるようになります。ここらあたりが他のソフィストとは違う点で、若者たちにとっては非常に新鮮だったのではないでしょうか。そして、他のソフィストたちはソクラテスの「問答」を真似る若者たちが増えていくことに危険なものを感じ取っていったのでした。

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第14回 ソクラテス2 [古代ギリシア]

 なんだか前置きが長くなってしまいましたが、この時代の哲学者たちについて考える際、時代背景や社会構造抜きで、現代の我々の常識をそのままもちこむと、意味がわかりにくくなるのです。だから、もう少し辛抱して読んでください。
 自由市民はほとんど仕事はしないでよかった。仕事はみな奴隷がしてくれるのですから。この時代のギリシアに哲学や演劇が盛んになったのは、自由市民にはあまりやることがなく、広場に集まって論議をしたり芝居を見に行ったりという時間の余裕がたっぷりあったからなのです。当時のギリシアは民主制だったのですが、それは国王が勝手な命令を出したりというようなことはなく、自由民たちが広場に集まって物事を決めていたということです。現代の人権を保障する民主政治とは違うということを忘れてはなりません。奴隷は目に見える鎖にはつながれていませんでしたが、市民階級の人々の所有物であり、主人のために無償で労働しなければならなかったし、広場での論議に加わることもできませんでした。
 市民階級のの人々にとって大切なのは、広場での論議に勝つことでした。だから、弁論術といわれる、言葉で人を言い負かす技術が発達したのです。弁論術の専門家はソフィストと呼ばれていました。彼らの得意技は「屁理屈」です。たがいに理屈をこねまわして、相手の矛盾点をつき、言い負かせばよいのです。そして、それを聞いた市民たちは壷に陶片を入れてどちらが勝ったかを多数決で判定しました。
 弁論術の師匠というのがいて、弟子から授業料を取ったりしていたようです。そんなソフィストの一人、プロタゴラスは「万物の尺度は人間である」という言葉を残していますが、これは物事には真理という絶対的なものはなくて、状況に応じて人間が「正しさ」を決めるものだということを示しています。これを相対主義というのです。
 この当時の神様というのはのちのキリスト教の神様と違い絶対的に正しい存在ではないですからね。神様は多数いて、それぞれの分野を治めていました。しかし大神ゼウスにしたところで人間の女性にちょっかいを出して妻の女神ヘラが嫉妬したりするという、まことに人間臭い神です。
 それでも神殿での神のお告げは絶対的だったようです。神託と弁論術が矛盾なく同居しているという、そういう社会だったのですね。そしてデルフォイ神殿に「ソクラテス以上の知者はいない」という神託が下ったことで、ソクラテスの哲学が生まれます。
 友人から神託のことを聞いたソクラテスは悩みます。神託は絶対だけれど、そうは思わない彼にとっては、そんなお告げは迷惑なだけです。神はなぜ自分をそんなに高く評価したのか、それを探るためにソクラテスは知者たちにに問答をしかけていきます。現代だと実に困ったおやじです。当時の市民はみんな暇人ですから、いい時間つぶしだったのでしょうか。

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第13回 ソクラテス 1 [古代ギリシア]

 さて、今回からは古今東西の哲学や思想をご紹介していくことになります。一応学校の教科書をベースに書いていきますが、僕独自の解釈も加わってきますので、なんでも鵜呑みにせず自分の頭で考えながら読んでいただければと思います。
 それにしても、古代ギリシアの哲学者たちは幸せだなあと思います。なぜなら、自分たちの書いたことや語ったことが、後世の人たちにちゃんと読んでもらえるのですから。ギリシア語が滅びず、また彼らの考えを後にその地を支配したムスリムたちが尊重したから、僕も現在このようにソクラテスやプラトンやアリストテレスのことを書くことができるのですから。
 文字が発見されていても、解読してもらえないでいるものもあります。もしかしたらものすごいことが書いてあるかもしれないけれど、その文化が途絶えて伝える人たちが滅びてしまったために、我々にはわからないままだということなのです。
 もし、現在の人類が滅亡し、新たな人類に代わるものが進化して地球全体に広がったとします。その新しい人類は私たちの膨大な遺産を発掘しますが、言語を解読することができません。したがって、彼らにとっては、我々は「なんだかすごい文明を持っていたらしいけれどよくわからない先住人類」でしかありません。
 ギリシア哲学はそんな目に合わずにすみました。ギリシア語は生きたまま後世に残り、哲学者たちの考えたことはキリスト教徒やムスリムによって研究、保存されました。やがて世界中の言語に翻訳されるようになり、彼らの著書は時代的にも地理的にも大きく離れた現代日本という名の島国でも読むことができます。
 一番幸福なのは、ソクラテスでしょう。彼は自分ではなにも書き残していません。しかし弟子のプラトンによってその言葉は後世に残されました。しかも、彼に心酔していた弟子が書いたのです。悪いようには書きません。彼は「よく生きる」という自分の信念を貫いて、あえて死刑を受け入れた偉大な人物、ということになっています。
 でも、僕はへそ曲がりなので、そういった記述も別の視点で見てしまいます。
 ソクラテスは紀元前の人物です。その当時のギリシアはポリスと呼ばれる小さな都市国家が数多く乱立していて、彼はそのうちのアテナイというポリスに住んでいました。
 ここで忘れてはならないのが、当時の人口は現代と比べると格段に少なかったということです。それと、自由民と奴隷という階級があるということも頭に置いておいてほしいのです。奴隷というと足に鎖かなんかをつけて過酷な労働に駆り出されるイメージがありますが、この奴隷たちはいわば給料のない使用人という感じだと考えてもらえばいいでしょう。

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