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第20回 アリストテレス 1 [古代ギリシア]

 プラトンはアカデメイアという学校を作り、多くの弟子を育てましたが、その中の一人がアリストテレスです。
 アリストテレスは「科学の子」でした。私事で恐縮ですが、大学時代、一般教養の「生物」の講義では、先生がとにかくアリストテレス礼賛をやっていたという記憶があります。アリストテレスは生き物を観察し、「すべての生き物は簡単な仕組みのものから複雑な仕組みのものまで、階段のように並べることができる」ということを発見しています。まだ生物の分類学などもなく、細胞も発見されておらず、顕微鏡もなく、進化などという考え方もない紀元前に、観察することによってこういう結論を導き出したのだから、これはすごいことです。なにしろ神話に出てくるような生き物……ミノタウロスやケンタウロスなんてものが実在していると信じていた人さえいた時代です。
 アリストテレスは哲学も「観察」をもとに組み立てています。彼は師匠にあたるプラトンを尊敬しつつも、「イデア界」などというものには否定的でした。なぜならそのような世界は観察して調べることも実証することもできないからです。
 でも、イデアについては否定はしません。すべての事物には「本質」があるという考え方は、しっかりとプラトンから受け継いでいるのです。ただし、その「本質」はイデア界などというあるんだかないんだかわからないところにあるとは思わなかったということです。
 アリストテレスは観察する人です。彼はいろいろなものを観察します。そして出した結論は、「すべてのものの本質は、そのもの自体に備わっている」というものでした。材料となるもの(ヒュレー)と本質(エイドス)が組み合わさったときに、そのものが存在するということです。
 植物の種は、そのままでは植物としては見られません。しかし種の中にはその植物の本質が入っていると、アリストテレスは考えました。だから、種に水や肥料という材料を与えてやることにより、その材料と本質が組み合わさり、植物として成長し、完成した姿になるというのです。
 なぜアリストテレスはプラトンの考える「イデア界」を否定してヒュレーとエイドスという考え方に至ったのか。プラトンは理想主義者でアリストテレスは現実主義者だったから、という説明だけでは不十分だと私は考えます。時代背景というものを無視して、その違いを語ることはできないと思うからです。
 プラトンは、まだギリシアのポリスが健在だった時代の人です。ですから、ソクラテスやソフィストたちと同じく観念的な世界に遊ぶことができたのでしょう。しかしアリストテレスは違いました。彼がアレクサンダー大王の家庭教師だったということを抜きにしてアリストテレスの思想を語ることはできないはずです。彼が教えたマケドニアの若き王子は、ギリシアを含む地中海沿岸を征服する大王になりました。そして東西の文化が融合するヘレニズム文化が発生します。アリストテレスの時代は、世界が一気に広がり、観念的な思想よりも現実的な思想を必要とする時代の端境期にあたっています。真理や理想という概念が大きく変化していく時代がきたのです。
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